2015年1月13日火曜日

喝采

鳴り止まない拍手のなか

俺たちは、

求め続けていた光を見た。


”GREAT EXPECTATIONS”には

希望とか夢とか そんな意味があるのだという。

俺たちが見たもの、

それは、観客という希望であり、夢であり、光だった。


このひと月、俺たちに夢を見せてくれた

劇場、

観客、

舞台に関わるすべての人々、

この作品を俺たちに託して去った前座長。

全てに感謝!


2015年1月11日日曜日

想い

 
 
あの人に届いているだろうか。
 
あの人は感じているだろうか…
 
私のこの想いを。
 
あの人を想う私は何か変わっているだろうか…
 
この物語が始まったのはついこの前のことだと思ってた。
 
だけど時は確実に流れていてこの物語は終わりを告げようとしている。
 
でもその前に、少し私の仲間の事について話したいと思う。
 
私の楽屋には色んな仲間がいる。
 
一つ上の先輩でもう一人の私のBチームビディ。
あほであほであほだけど、私にとっての生き字引のハーバードポケット。
アホでアホでアホでアホなのがBチームエステラ。(優しいよ。)
筋肉のスペシャリストのBチームピップ。
しゃべってしゃべって、かき乱して楽屋を明るくしてくれるBチームジョー。
そんなジョーをつついてさらに騒がしくするジャッキー好きのSチームマグウィッチ。
そんなカオスな楽屋をまとめるSチームピップ。
 
そう。
私の楽屋には変な人たちしかいない。
でもそんな変な人達とのやり取りが好きで楽しみだったりする。
そんな日々やこんな楽屋にもお別れを言う時が近づいている。
 
みんなはどんな想いなのだろう…
一人一人に色々な想いがあるのだろう…
 
千秋楽間近に行った二つのチームを交えたチームクロッシングチームでの公演。
これも私的には千秋楽の前に様々な新たな発見があり貴重な体験をできた。
やはり同じ役でも役者によって全く違う。
その分沢山の発見や生まれるものがあった。
 
これらの出来事を受け入れ最後の扉を開けたいと思う。
 
この想い、届きますように。
 
ビディ
 
 

無題

5分前の場内アナウンスが入り、
 
にぎやかだった楽屋も
 
そろそろ静まりかえり、
 
演者の表情もとたんに緊張感を増し、
 
その時を待っている。
 
 
 
いつもと変わらない光景。
 
 
そして一瞬の静寂の後、
 
 
今日も私は足を踏み出す。
 
 
 
 
Hiroo Kasahara

2015年1月9日金曜日

恵比寿の風雲児編

スタジオライフの人間について書こうと思う。

スタジオライフ創立は1985年吉祥寺だが…其処に集う人間達を書くには、
其処からもう36年遡った東京山ノ手の風土についても触れなければならない。
1949年恵比寿…戦後の焼け野原がまだ彼方此方に残る山ノ手に、
創立者・河内喜一朗は産声をあげた。

父親は石工、それを支える母親との間に、一粒種として生まれ激愛されて育った。
話はいきなりそれるが…この父母の出逢いは、
まるで恋愛映画のワンシーンのような様子の中で繰り広げられた。
折しも戦後の食糧難の中…
関東近郊への買出し者達で溢れる列車に乗りあぐねていた母親のお尻を、
父親がグイっと押し上げ乗車を助けたところから二人の逢瀬が始まっている。
先代は酒に酔うと、この時のことを丸で見てきたかのように、
何度も何度も嬉しそうに話してくれた…まさに「君の名は」である。

話を戻そう。
父親は聞かん気の強い筋金入りの石工職人であったと、晩年の先代は振り返っている。
まるでドラマ「寺内貫太郎一家」の父親のようであったと…
今も靖國神社参道には、父親が彫った狛犬が堂々と東京を睨み据えている。
先代の結婚式の日には自分の彫った狛犬を見せたくて、
出席者である親戚を式場から人攫いの如く連れ出し、
なかなか式場に戻らず先代と母親をハラハラさせたそうである。

またこんなこともあった。
多数の地回り達と諍いになった時、一歩も引かず一人で立ち向かい、
半殺しの簀巻きにされて瓦礫の中に捨てられた。
二日後に息を吹き返し、
病院にも行かず自宅に戻って寝て快復させたと言う。

石工作業の塵肺に侵され、長じることは無かった。
母親は長じた。
晩年は、息子の舞台を楽しみに余生を謳歌された。
劇場にいらっしゃると、良く私がお席迄案内した…
その際には何時ものように、息子の出番が少ないと案じておられた。
二人は、一卵性親子かと思われるほど似ていて…
その口癖迄ソックリなのには驚いた。
「嫌んなっちゃうなぁ」である。
先代が女性役を演じた時なんかは、
其処に母親がいるとしか思えないほどであった。

河内家の家族温泉旅行に、一度お邪魔した事がある…
奥様が仕事で急遽のお誘いであった。
脳天気にお邪魔したが…お母様のお話を色々と伺えて楽しかった。
夕食を三人で食べている時に、息子さんの劇団が急成長していると
半分自慢を込めて話した…その時のお母様の反応が素敵だった。
ニコニコ笑いながら…「淳子と皆んなが偉いんだろ」と仰っていた。
頭の良い方だと思った。

まだ焼け野原が残る恵比寿に居を構え、
先代の幼少期を見守りながらのご近所付き合いをしている頃が、
人生で一番楽しかったと仰られていた。

二人の遺伝子を脈々と受け継ぎ、
その当時山ノ手にあって野生児を育むに相応しい風土が、
筋金入りのガキ大将を育て上げた。
先代にとって、幼少期の恵比寿の風土と演劇界は、
其れ程大きく違いは無かったのでは無いだろうか?
勿論その複雑さに於いては、恵比寿の焼け野原と演劇界では違うが…
生き延びるという事に於いては、何方も厳しい現実が有ったに違いない。
自分にとっての夢・目的完遂のために必要な人間を瞬時に見極め、
徒党を組み養い夢に向かって邁進する…その速さたるは、正に風の如しである。
演劇界のガキ大将の原型が恵比寿にあるように思われてならないのである。

そしてそのマンパワーは、同じく山ノ手に門を構える青山学院陸上部時代の
箱根駅伝出場によって、より果てしない成熟度を見せるのである。
その溢れるマンパワーは、在学中に3年間にも及ぶ音信普通の海外放浪生活
(両親は二人揃って胃潰瘍になり、病院送り)…
卒業後就職はしたものの3カ月で退社し、両親には極秘での俳優養成所通い等…
その迷走振りも半端では無かった。
先代の辞書に「止まる」の文字は無い…
父親が残した財産(大資産である)を全てを演劇につぎ込み、
スタジオライフを立ち上げた!

先代は常日頃私に言っていた…
「藤原、俺の喜びは役者だけじや無いんだよ…プロデューサー・
脚本・演出・選曲・影絵・スタジオライフ!ロンドン公演etc」
正に溢れる人間力を持った人間自身の言葉だ。
それらの多岐にわたる喜びの数々が、
スタジオライフの29年間を支えた事は言うまでも無い…
そして多くの劇団員を育てあげた。

スタジオライフで10年頑張れば、何処でも何をやっても生きて行ける様になる…
成功したOB達からは、そのような名言も飛び出すほどであった。
スタジオライフは、人生鍛錬道場でもあった。

2014年6月8日、数々の名作公演を手がけるも夢半ばにして他界。
その一生を大急ぎで駆け抜けた、まるで箱根の山を駆け抜ける風のように…
止まる事を知らぬ男の、容赦の無い全力疾走であった!!

男の一生は、一片の詩であれば良い…!
そんな時代に生まれていたら、
確実に城持ちになっていたであろう男であった。


享年64歳。

2015年1月   楽屋於      蕎麦遼太郎

2015年1月7日水曜日

パニエの奥


貴族達が夜ごと愉しむリッチモンドの舞踏会。
その貴族達が身につけるパニエやドレスのかかったシテンダーの奥の部屋、
前室の床から一段上がった板の間に、
ここ最近の私は、古い相棒と二人でいる。
この劇団でいわゆるJr.1と呼ばれる二人だ。
3面に鏡の貼られたいわゆるフィッティングルームに、
折り畳める長机を持ち込み、
タオルや手ぬぐいを敷いた上にメイク道具などを置き、
即席の鏡前としてる。
長年付き添った夫婦のような我々には、
日々、特段の会話もなく、干渉もなく、
お互いがお互いで心地よい距離を保ちつつ、
スケジュールがどうだとか、
今日は同期が観に来るとか、
同期は観にきたくせに楽屋に挨拶にこないとか、
隣の部屋で座を占める、
このところ数少なくなった先輩役者達のこぼれ話を聞いたりとか、
メイクルーム&ドレッシングルームと化した前室に訪れる役者達の、
なんでもない日々の会話などを聞いたりしている。
最近太ったとか、
ドレスが入らなくなってきたとか、
ぎゅうぎゅうにドレスを締め付ける音とか、
その締め付けに、たまらず漏れ出す喘ぎ声とか、
かとおもうと、次の瞬間、
雷にうたれたように相棒は走り出し、
白いドレスを振り乱して舞台袖を走り抜け、
あっというまにモニター越しからハビシャム様の台詞を聞くこともあった。
これが世に言う「あやうく出トチしそうになった」瞬間の光景だ。
まぁ、なにごともなく公演を続けられれば良いのかもしれないが、
日々色々なことがあるのが人生なわけで、
そんな人生をそれぞれ抱えながら、
与えられた役を日々演じているのがこの劇団の役者であって、
そんなこんなを、
このパニエの奥の楽屋から覗いている今日この頃なのだ。
さぁ、明日は何がおきるのか
このパニエの奥の楽屋から、
覗きうる限り覗いてみたい。ね





















及川健

素顔


今日も鏡に向かう
いつもより明るいベースをいつもより厚く塗り
いつもより濃いシャドウ、ラインを入れていく
段々仕上がっていく姿を見て思った

「あっ、お母さん」
そう、千恵子にそっくりだ

鏡に向かって語りかけてみる

お母さん

覚えていますか?俳優を目指して上京した日のことを

天然で可愛いお母さん

あれから色々な役を演じてきました
今もこんな化粧をしています
時々、自分の素はどこにあるのだろうと
思うときもありますが、きっと全てが自分で
そしてあなたの一部なんだと最近感じます

昔から少し変わってた
いやだいぶ変わってたお母さん
ある意味エキセントリックなお母さん

僕も今、エキセントリックな年老いた女性を
演じています

こうして時々あなたを思い浮かべながら

化粧の仕上げは真っ赤な口紅

素敵なドレスに身を通し、素敵なウィッグを被り

千恵子の完成!

いや、ハヴィシャムの完成!

今日も僕は怒りと悲しみに満ちた女性を演じるのだ

「遊んでごらん!」

「踊ってごらん!」

「ここに何があるかわかるかい?」

「奴らの心を引き裂くんだ!」

「どうしてここにいるんだい?」

……………………………

ステージを終え化粧を洗い流す

素顔に戻る

ふう〜と大きく息をはくのと同時に鏡を見て思った

「あれっ、亜紀?雅子?」
めっちゃ妹ににてるやん



山本芳樹

お詫び


今年に入ってからブログが更新されておらず、
ブログを楽しみにしてくださっていた皆様には大変失礼いたしました。

更新システムの不具合により
更新が一時的に止まっておりましたことをお詫び申し上げます。

この期間にUPできていなかったブログを一挙に掲載させていただきます。

これからも公演終了まで公演ブログをよろしくお願いいたします。


「GREAT EXPECTATIONS~大いなる遺産~」
ブログ実行委員会